25年前の1995年には、歴史的な出来事が色々ありました。
ブリキ箱に入った新聞記事を、物置から出して整理しています。
新聞の重要記事を残して置いたきっかけは、1995年(平成7年)1月17日午前5時46分に発生した「阪神・淡路大震災」でした。
私が記憶する限り、日本では、昭和40年代頃に高度経済成長を遂げて以降、自家用車や電化製品等が身の回りに溢れ、便利さからすれば文化の急激な変化は見られ無かった様な気がします。
そして、戦争直後の極貧時代を経験していない昭和30年生まれの私にとって、平和な時代が当たり前の様に暮らして来ました。
しかし、1995年(平成7年)1月17日早朝、神戸を中心とした関西地域で、この巨大地震が起きたのです。
仕事に出掛ける前、テレビのニュースで巨大地震が起きたのを知り、神戸地区の想像を絶する光景が目に飛び込んできました。
高速道路は、橋脚(コンクリート)が粉々になって横倒しになり、街中が火の海でした。昭和の高度成長と共に暮らして来た40年、平和な日常が当たり前だと思っていた私には衝撃的な光景でした。
「きっと この地震は、後世まで語り継がれる災害になるだろう。」と思った私は、その時から重要な記事を残して語り継ぎたいと思う様になりました。
しかし・・・・・、その年は、それだけでは終わりませんでした。
阪神・淡路大震災から2ヶ月くらい経って、考えられない事件が起きたのです。
それが、3月20日の朝、我が国の首都圏中枢を狙ったテロ「地下鉄サリン事件」でした。
私は、戦後50年目に起きた その「オウム真理教事件」と、歴史的な或る事件が頭に浮かんで重なりました。そして『やはり歴史は繰り返すのかな?』と心に抱きました。
それは、戦国時代が終わり50年後(1651年)に起きた「由井正雪・丸橋忠弥が起こした事件(慶安の変)」でした。慶安の変は、やっと平和が訪れた頃に起きたもので、旧豊臣方の郎党が計画した「江戸城攻撃」が直前で発覚した事件でした。
新聞記事を辿れば、3月29日、オウム施設に対する警察の強制捜査が行なわれました。しかし、翌日、国松警察庁長官狙撃事件が発生します。常識では考えられない事ばかりでした。
オウム事件は、その後、次々に幹部達(林・石川・新美・早川・井上・豊田等)の逮捕に展開し、報道陣の目の前で村井幹部が刺殺されるなど、毎日報道されていました。
そして、5月16日、麻原彰晃こと「松本智津夫」の逮捕に至りました。
戦後の平和と安定が、阪神・淡路大震災とオウム真理教事件によって切り裂かれた年が1995年(平成7年)でした。
その年、4月には統一地方選挙が行なわれ、タレントの青島幸男が東京都知事、横山ノックが大阪府知事に当選されました。
現代日本史において、1995年は区切りの年になると思います。
3月には、カシオ計算機が液晶デジタルカメラを発売しました。デジタルカメラの発明は画期的な社会変化をもたらし、パソコンでの画像処理が急拡大しました。
その年、インターネットの世界ではWindows95が登場しました。ワープロ時代からパソコン時代に一気に変革し、ワープロ時代の終焉を迎えました。
そして、今ではスマートフォンが生活の主流になっています。
物置に仕舞ってあった新聞の重要記事を辿れば、やはり、1995年が歴史の節目であったと、私は考えています。
※古民家ギャラリー懐古庵では、1995年以降の重要な新聞記事(資料)を大体保存し、貴重な号外等が有りますので、少しずつ紹介したいと思います。
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