昭和の中頃まで使用された肥桶(こえおけ)。
貴重な文化資料として展示しています。
「古民家ギャラリー懐古庵」では、この農具(肥担ぎ一式)を生活文化の貴重な資料として、大切に保管し展示しています。
私が子供の頃、物置の奥に天秤棒・肥桶・肥柄杓(こえびしゃく)が置いてありましたが、親が使用している姿を見た記憶はありません。
そして、当庵に展示する肥担ぎ一式(肥桶・天秤棒・肥柄杓)が、家にあった物なのか? 後から購入してきた物なのか? 自分でも記憶が定かではありません。
しかし、鮮明に記憶しているのは、丁寧に水洗いしている時に片方の肥桶の箍(たが)が外れてしまい、バラバラになって組み立て困難だったので、片方を廃棄してしまった事です。
今思うと、『残しておけば良かった』と後悔しています。
片方の肥桶だけですが、展示するこの3品については、大変貴重な資料だと考えています。
古くから、あまり形が変わらずに使用されてきた一昔前の農具は、機械産業の発展と共に昭和の中頃から新技術へと移り変わり、殆ど社会から姿を消してしまいました。
上記写真は、懐古庵の裏庭(北西側)にあるトイレ遺構です。
四角に囲った跡には肥溜めが有り、石垣が1メートルくらいの深さに組まれています。
昔の便器(陶器製)を置いていますが、これらの便器は元々この家に有った物ではありません。
以前、この場所を整備した時、四角い肥溜めの奥側に、大きな肥壺(こえつぼ)が2個埋まっていました。
そして、左側の壺の前に、四角い石が1個置かれていました。
上記写真が その四角い石で、男性用トイレの「踏み台」石だと思います。
土に埋まっていた肥壺(陶器製)は2個とも同じ物で、その周囲から四角に並べられた基礎石の一部が出土したため、同所は外便所の跡地で、左が男性用、右側が女性用であったと思われます。
出土した2個の肥壺は、自宅の庭に置いてあります。
上記写真は、出土した片方の肥壺で、完全な状態で掘り出す事ができました。
しかし、もう片方の肥壺は少し欠けてしまい、割れた欠片を残したまま置いてあります。
(おわりに)
日本のトイレは、昭和30年代頃まで水洗式ではなく汲み取り式でした。
農家では昭和20~30年頃まで、肥桶を担いで畑に行き、人糞を肥料に再利用していました。
殆ど変化なく流れた「悠久の生活」が、ここ50~60年の間に急激に変わりました。
長い歴史を培ってきた貴重な農具や民具が、身の回りから失われて姿を消しー
気付けば心の拠(よ)り所を見失い、自分が何処に向かっているのか判らない虚無感を抱くことはありませんか?
そんな時、古民家ギャラリー懐古庵を訪ねて下されば嬉しく思います。
きっと、純粋な頃の本来の自分に「再会」できると確信しています。
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