「地元の歌」市民歌・讃歌・民謡・小唄等。
上記レコードは、昭和時代に富士市役所・旧富士川町が製作したソノシートが2枚、「富士宮市歌を愛する会」・「沼津舞踊連盟」が製作したシングル盤が2枚です。
「地元の歌」に関する昭和レコードで、当時の「音源」として大切にしています。
(1)富士市民歌
(説明)
赤表紙を開くと、左側には富士市民章の解説や楽譜が印刷され、赤色のソノシートレコード(33回転)が入っています。
富士市民章の解説によると、模様になった富士山の外円は「円満に合併した旧2市1町を表している」旨なので、昭和41年(1966年)11月、吉原市・富士市・鷹岡町が合併した後に、新富士市を記念して昭和42年3月に制定された「富士市民歌」であって、その時に富士市役所が配付したレコード盤(ソノシート)だと思います。
作詞は柴田忠夫、作曲は宇野誠一郎、唄は中原美沙緒・坂本博士となっています。
「富士市民歌」については、今でも富士市役所シティプロモーション課に問い合わせをすれば、色々と教示して頂けると思いますが、このソノシート盤は、当時の音源として貴重です。
(2)富士川小唄
(説明)
平成20年11月、旧庵原郡富士川町は富士市に合併しました。
この「富士川小唄」は、コロンビアレコードが制作した青色33回転のソノシート盤で、昭和42年5月の広報「ふじかわ」によると、富士川町が松野村と合併した10周年記念行事に公募した歌で、作詞は甘露寺雄次郎の作品が選ばれ、作曲は自衛隊富士学校音楽隊長高田忠良に依頼して完成し、3月26日に式典をした後に催した芸能大会で発表された、とのことです。
A面が自衛隊音楽隊の伴奏による唄、B面が三味線による唄に分かれて製作されています。
旧富士川町は、今では富士市に合併しましたが、この昭和レコードの「富士川小唄」は当時の貴重な音源です。
(3)A面「沼津節」・B面「沼津音頭」
(説明)
1983年(昭和58年)、「沼津舞踊連盟」が製作した33回転のビクターレコードです。
A面が「沼津節」、B面が「沼津音頭」です。
作詞・作曲者が、明治から昭和の巨匠 北原白秋・町田佳聲(かしょう)であるのも驚きます。また、地方に残る有名な民謡の多くを、詩人・北原白秋と作曲家・町田佳聲が手掛けています。「ちゃっきり節」も2人による作品です。
沼津節と沼津音頭は、昭和初期の作品で戦時中に埋もれてしまいましたが、戦後、歌詞と楽譜が発見され、古き良き沼津を復活させるため、「沼津の歌」としてレコード製作したとの事です。
(4)A面「富士宮市歌」・B面「富士宮讃歌」
(説明)
この「富士宮市歌・富士宮讃歌」は、昭和52年6月、「富士宮市歌を愛する会」が製作した45回転のレコード盤です。
A面「富士宮市歌」
富士宮市選定、作曲・小山章三
歌:坂本博士
B面「富士宮讃歌」
作詞・山川 斌
作曲・今村 優
歌:キング混声合唱団
ジャケットの裏面に昭和42年11月1日制定の「富士宮市民憲章」が印刷され、内側には富士宮市の解説や「富士宮市歌・富士宮讃歌」の歌詞と楽譜が印刷されています。
(おわりに)
昭和レコードは、日本の音楽史で重要な役割を果たしています。
明治・大正・昭和の音楽史の流れの中で、童謡・民謡・歌謡曲の推移や、当時の「音源」がしっかり残され継承されてきています。
亡き母が、晩年よくSPレコードの音源をカセットテープに録音して聴き、懐かしんでいたのを思い出します。
私にはサッパリ判らない歌ばかりでしたが、私自身が当時の母親と同じ高齢になり、レコードの懐かしさをしみじみ感じるようになっています。
改めて、人を幸せにし心豊かにしてくれる情感漂う作品を、沢山残してくれた作詞家や作曲家、並びに製作者の方々に敬意を払う所存です。
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