心に奢(おご)りある時は人をあなどり
奢(おご)りなき時は人をうやまう
手島堵庵(てしまとあん)
1718(享保3)年~1786(天明6)年
江戸時代中期、京都の豪商。
石田梅岩に学んだ石門心学者。
(石碑の説明)
石碑は、当庵東側の庭に配置しています。
とかく人間の本性は、奢り(驕り)があると人を侮り、奢り(驕り)が無いと感謝の心が芽生えて人を敬う。
今回の名言は、そうした人間の醜い心を揶揄(やゆ)している箴言(しんげん)であり、心に刺さる碑文の一つです。
1995年、(株)三心堂出版社発行
日本のことば研究会編
[日本一心に残る「元気」のでることば]
よりー
〇27才の或る女性看護師が投稿した次の名言
も、大変判り易い箴言の一つです。
本当に立派な人は威張らない。
本当に駄目な人ほどよく威張る。
孔子は、憎むべき人物として
「自己顕示欲が強い者」
を上げている。
例えばー
・悪口を言う者
・礼儀知らずの者
・傲慢(ごうまん)な者
・道理の判らない者
・他人の仕事を自分の宣伝にする者
を信用してはいけない、と教示している。
論語には、次の戒めもあります。
子曰(しのたま)わく、
君子は泰(ゆたか)にして驕(おご)らず。
小人は驕(おご)りて泰(ゆたか)ならず。
(子路第13)
(訳)
立派な人は、泰然として高慢ではない。
凡人は、威張り散らして落ち着きがない。
の意。
凡人は、心に驕(おご)りがあると人を見下して馬鹿にし、侮(あなど)ったりする。
しかし、立派な人ほど自分を謹(つつし)んで人を敬(うやま)うものである。
(おわりに)
謙(けん)と矜(きょう)の教えがあります。
立派な人ほど、我が身を自慢せず謹(つつし)む心「敬(けい)の心」を大切にしています。
仁は人の道なり。(孟子)
その心法の要には「敬の心」があります。
私は、50代後半の時に名句碑作りに没頭していました。
当時、この碑文で訴えようとしたのは、
相手を敬って気遣いやデリカシーを大切にする「惻隠の情」を忘れず、持ち続けることー
でした。
驕(おご)れる者は久しからず。
謹(つつし)めば人から好かれる。
云うまでもない哲理ですー
(懐古庵主)
※「おごり」の意味についてー
国語辞典によれば、一般的に
「奢り」は贅沢(ぜいたく)を意味します。
「驕り」の方が、自分の能力や権勢を過信して謙虚な心を失い、他を無視した言動に出ることを意味します。
碑文の「奢り」は、「驕り」と同一の意味で解釈しています。
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