永遠の哲理(争いと解決)

 今回は、争いに関する哲理と解決方法について記事にしました。

 それは、私が以前「永遠の哲理」として碑文に要約したものです。

 碑文は、木彫板に彫り「おやじの小言」として店内に掲示されています。

(碑文内容)

     永遠の哲理 

 人の世のトラブルは、全て焦点が棚上げされて、その主要課題から別の問題へ、論点が擦(す)り変わることに起因する。

 よって、問題解決の筋道は、論点が異なる問題にも誠実に対応し、お互いの話しを良く聞いて焦点を見極め、棚上げされている主題に話しを戻し、たとえそれが困難な問題であろうとも、焦点から目を逸らさず正面から向きあうことである。

 誠実な生き方とは、心乱さず清浄心と思いやりの心を忘れず、焦点の主題から目を逸らさず、短絡的に自分の都合の良し悪しで、視点や論点を変えることなく、中庸つまり普遍的・妥当的な、誰もが納得する良き道筋を見失わないことである。

 それはつまり、自分に都合の良い事を言って、相手を悪者にする様な邪見、自己顕示欲に囚われないことである。

どの時代にも、それぞれ課題があり、

それを解くことによって、人類は進歩する。

              ハイネ

平成26年11月3日 

         おやじの小言 印


(碑文の解説)

(1)争いの哲理

 重要なのは、争い事には

〇「主要課題(焦点)が棚上げされて、論点がズレて別の二次的問題でトラブルになっていることが多い」

と云う事。つまり、

〇「焦点の問題」が「別の論点」にすり替わっており、根本問題が解決しないまま関係ない問題に振り回されている事が多い

と云う事。また、

〇当事者に問題がある事もある。

・自己顕示欲が強く、思いやり・寛容さに欠けて妥協しない人。

・白か黒かの「単純二極化思考」に偏って、思考が投げやりな人。

・感情的になりやすく、認識より意識で行動する人。

・相手の立場にならず、自分の都合の良し悪しで行動する人。

・道徳を振りかざして相手を攻撃する人。

             等々

〇感情的にエスカレートして論点が変り、焦点が主要課題から「個人間の争い」に変ってしまう場合が多い。


(2)争いの解決方法

  (問題解決の筋道)   

 まずは、

〇「本来の主要課題は何だったのか?」に、話しを戻すこと

が大切である。

 論点が違っている場合には、

〇二次的なトラブルにも誠実に対応して、心乱さず「清浄心と思いやりの心を忘れず」自ら相手の気持ちを良く聞いて寄り添い、「本来の課題ではない」旨を伝えたうえ「相互の妥協点」を探し論点がズレた問題をまず解決させること

が最初の課題である。そして、

〇主要な問題に焦点を戻し

その難題に対し全身全霊で取り組む。

 恐らく、その焦点の問題は、簡単には解決しない困難な問題だと考えられるが、

〇短絡的な自己顕示欲で「自分の都合の良し悪し」などには囚われず、利他の精神で誠実に根気よく正面から向き合うこと

が重要な要件(心得)となる。そのうえ、

〇公平中正に最大公約数を駆使し、普遍的・妥当的「誰もが納得する良き筋道」を見つけることに情熱を傾ける。

そうする事によって、困難な問題も必ず解決できる!


(3)ゲーテの名言より

   あらゆる難関を乗り超えて

   初めて真の安息日が来る

              ゲーテ

 ※この石碑は当庵の庭にあります。


(おわりに)

複雑な問題に対して、

・いったい、本来の問題は何なのか?

・その焦点の問題の原因は何だったのか?

 (どうして、そうなったのか?)

・どうしたら公平中正に解決出来るか?

・誰もが、どの団体もが納得する方法は何か?

 (最大公約数「中庸」を駆使する)

本来の問題、主要課題から逃げない事!

 その重要な問題を棚上げにし、論点をすり替えて逃げていては、いつまで経っても根本的な問題解決には至らない。

 とかく複雑な問題には、重要な課題が棚上げされており、論点がズレた別の問題に振り回されて焦点が見失われているケースが多い。

             懐古庵主


(名言)

 生き残る種とは、

    最も強いものではない

    最も知的なものでもない

それは、変化に最もよく適応したものである。         

           

            ダーウイン










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