懐古庵では、今年も五月人形を飾りました。
1 はじめに
今年も4月下旬、夫婦2人で五月人形を出して座敷に飾りました。
やはり、半日掛かりの作業となりましたが、1年の歳時記を楽むことが出来ます。
着物の手前にある小さな甲(かぶと)は、私が65年程前に親戚から初節句で頂いた思い出の甲です。子供の時には、これも立派な宝物でした。
この子供着用具足は、妻の実家から長男への端午の節句で頂いた大切な物で、両側の武者人形は親戚からお祝いで頂いた五月人形です。
日本の平和を願い、身近な暮らしに根付く伝統文化の素晴らしさをご覧頂けたら幸いです。
2 五月雨(さみだれ)に育つ植物
この時期、懐古庵の庭では植物が生長し、四季の彩りも楽めます。
玄関先の看板に絡まった実葛(さねかずら)も青々してきました。
そこに鉢植えのクレマチスが伸びて、紫の花が咲き始めました。
毎朝、散歩中に立ち寄る近所のお年寄りが、クレマチスの花を楽しんで下さいます。
妻と相談して、そのお年寄りが一休み出来る長椅子を置くことにしました。
最近、そのお年寄りから庭で咲いたと云うアヤメの花を2本頂きました。
わざわざ、散歩中に届けてくれたので、売り場に有った牛乳瓶で水差しにしました。
縁側には、妻が実家から持ってきた五月人形を飾ってありますが、そこにアヤメの水差しも一緒に添えることにしました。
3 懐古庵からのメッセージ
(1)禅名句
行 雲 流 水
(こううんりゅうすい)
「謝民師(しゃみんし)推官(すいかん)に与うるの書」より
蘇軾(そしょく)
(2)意味
空を行く雲や水の流れのように、自然の成り行きに任せて(自然体で)行動すること の意。
物事に執着しない。
悲しみも、いつかは消えて無くなる。
日々の暮らしに於いて実体の無い感情(不安や悩み等)に囚われず、自然体のまま明るく楽しく生きることが大切である、
との教え。
(参考)
修行僧を雲水(うんすい)と呼ぶのは、行雲流水からとったもの。
(3)メッセージに込めた思い
「論理で人を追い詰めない。」
とかく人の争いは、物事への執着と不安や悩みへの固執から起きるものです。
人は、何事も「論理」で片付けようとしがちですが、そこには「落とし穴」もあります。
頭が論理的思考だけに偏ってしまえば、自分の論理だけが正論だと勘違いしがちです。
・~べきである。
・誰々と合わない、好きでない。
・何故?、どうして?
等々
知らぬ間に論理(正論)で人を追い詰めようとします。
道徳を振りかざしたり、正論で相手を追い詰めても、お互いの幸せにはなりません。
「論理(正論)が全てだ」とのロジカル思考は、心のゆとり(精神的余裕)を無くし、相手への寛大さ(思いやり)を失ってしまいます。
4 おわりに
物事に執着して実体の無い感情(不安や悩み等)に囚われ、論理に拘(こだわ)るよりも、行雲流水の如く自然の成り行きに任せて、自然体のまま明るく楽しく生きる方が良い。
その為、懐古庵では、3月・5月には節句人形を飾り、季節の移り変わりを楽しみながら心豊かに生活したいと願っています。
日々の生活の中で自然体のまま明るく暮らし、人間同士の関わりにおいては、論理(正論)を振りかざすよりも、相手への寛大さ(思いやり・優しさ)を忘れずに、
「心のゆとり(精神的余裕)こそが大切だ」
と考えています。
懐古庵主
(参考)
① 蘇軾(そしょく)
(1036年~1101年)
北宋の政治家・詩人・書家
唐宋8大家の一人
② #ロジハラ 参照
4月9日のブログ
「北側庭の配置換えと名句碑」
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