古民家ギャラリー懐古庵では、「寸鉄の言」を活動の基本理念にしています。
1 人生で重要な3つの要素
此の世には、良い事も悪い事も沢山あって、世界中の人々は様々なトラブルを抱えて生活しています。
また、それらのもめ事は、誤謬やパラドクス(矛盾)・トラップ(罠)の作用で更に複雑になり、解決できない困難な問題で溢れています。
「寸鉄の言」では、ゲーテ思想の考察から度々使われるワード「必然・不実・分別」に着目し、そのワードを中心に展開する優れた思考を要約しています。
2 寸鉄の言
懐古庵では、「寸鉄の言」の内容を印刷して常設展示室に置いてあります。
興味のある方は御自由にお持ち帰り下さい。
内容については、
2021年6月21日付けブログ、
ゲーテ思想「寸鉄の言」
を御覧頂けたら幸いです。
(碑文内容)
寸 鉄 の 言
正道を誠実に生きる
(1)大きな必然は人間を高め、小さな必然は人間を低くする。
豊かさは節度の中にだけある。
思慮を欠いた事をすれば、終始逃げ道を探す事になる。
大きな思想と清い心こそ、我々が神に求めるものであり、人間の誤ちを清い人間性が償う。
法の力は強いが、必然の力は更に強い。
必然を高め分別を守る事が大切である。
分別によって正道に戻り、無分別によって邪道に導かれる。
分別のある人だけが、正しい道を捉(とら)える事ができる。
常識は人類の護り神である。
(2)不実に気付いて誠実な生き方を知る。
他人との擦れ違いの原因は、分別の未熟さが引き起こす不実な行動、即ち心の過ちにある。
不実とは、誠実でない事、誠意や情愛に欠けている事の意。
不実は、不誠実という様に積極的に悪く捉える意味ではないが、不作為により誠意や思いやりに欠ける という誠実ではない事の意。
この世は共生社会である。
利己的行動を常に反省し、誠実に生きる事が大切である。
不誠実には悪意がある。
不実には悪意はないが誠意がない。
誠実とは、不実な行いを反省し、誠意と思いやりのある前向きな姿勢を意味する。
平成29年5月 一彦謹記 印
(寛容の心)
江戸時代、大人の仕草の一つに「うかつ謝り」の精神あり
3 必然
ゲーテ曰く
「法の力は強いが、必然の力は更に強い」
・嘘をついてはいけない。
・卑怯な事をしてはいけない。
・高い所から飛び降りてはいけない。
そんなこと、六法全書に書かれてはいない。
法律以前には、必然の問題がある。
4 不実
誠実の反対が「不実」。
不誠実には悪意があるが、不実には悪意が無い。
不実とは、不作為によって「誠意が相手に伝わらないこと」を云う。
誰しも自分が悪いなどとは思っていない。
しかし、相手に誠意が伝わらないとトラブルが起きる。
とかく人間は、自分が誠実だと思い違いして、不実な行いをしていることが多い。
相手に寄り添う気持ちを忘れがちになり、そこから双方の擦れ違いが生じる。
5 分別
法律では免れることでも、好ましい行いかどうかの判断が大切である。
「正の学習」か「負の学習」か?
それを判断(認識)するのが「分別」。
とかく人間は、ABC理論の
・A「当たり前の事を」
・B「バカになって」
・C「ちゃんとやる」
と云う単純なことが出来ない。
「都合の良し悪し」で余計な事を考えると悪知恵が出たり端折たりする。
ミスや過ちが生まれ易くなる。
「バカになって」ちゃんと行動するのが分別。
6 おわりに
世の中、損得勘定「都合の良し悪し」に流され易い、いや、流されている。
歴史上の聖賢全てが唱えた教えが黄金律。
その正体こそ「利他主義」です。
最近、西郷隆盛の「敬天愛人」の教えを良く耳にします。
西郷隆盛は「南州遺訓」にて、
学問とは、克己心で身を修め、
敬天愛人(けいてんあいじん)
(天を敬い、人を愛すること)
を目的にしたものだ と述べています。
私は、混沌とした此の時代、「必然・不実・分別」の3要点にこそ、平和を導くのに大切な〝困難な問題を紐解く重要な鍵がある〟と考えています。
懐古庵主
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