諸法実相

 懐古庵では、店の展示資料から〝歴史の実相〟を伝えたいと考えています。

1 はじめに(諸法実相とは)

 諸法実相とは、「全ての事象に於いて[ありのままの真実]のこと」を意味し、平たく云えば「事実 そのまんま(ありのまま)」と解釈できます。

 「諸法実相」は、妙法蓮華経(法華経)に出てくる仏教用語です。

 日蓮宗では、法華経28品(章)の内、第二(方便品)と第十六(如來寿量品)を重要なお経としています。

 そして、方便品第二の中で諸法実相・十如是の説法が説かれています。

 十如是(諸法)とは、相(外面の形相)・性(本性・本質)・体(形体)・力(能力)・作(作用や動作)・因(原因)・縁(条件や関係性)・果(結果)・報(報い)・本末究竟等(以上の関係性には差別がない事)であり、

 全て それら事象・現象には、そのまんま(ありのまま)存在理由がある との考えが「諸法実相」です。

※「実相」とは、言葉では言い表せない「ありのまま」の事。事実は無相であり、その無相がまた実相である。

 「諸法実相」を「仏の世界観」で解釈すると難し過ぎて、実際 私には良く判りません。


2 唯(ただ)ありのまま時は流れる

 此の世(自然界も宇宙も)は、ちっぽけな人間の悩みや喜び、欲望や分別、病(やまい)や苦しみ、死への恐怖や悲しみ等々、様々な感情の喜怒哀楽に囚われる事無く「唯ありのまま」時が流れる。

 少なからず云える事は、今この時この場を生きることは、かなりの偶然が重なってこそ だと考えられます。

 その 唯ありのまま過ぎて行く「生ある時間」に喜びや幸せを感じ、楽しみながら生活するのが「諸法実相」ではないか と私は思います。


3 事実そのまんま(ありのまま)の生き方

 ⑴ 必然

  (法律以前に必然がある)

 いくら沢山法律を作っても、根底から誤りが生じれば法律にも意味がない。

 仮説をいくら沢山重ねても、途中の課程に1つでも誤りが生じれば全く逆の結果に繋がってしまう「パラドクス論」(矛盾)と同様になる。

 ・嘘を付かない

 ・卑怯な事をしない

 この二つは、法律規制にない「必然」ですが、私は「その二つさえ守れば六法全書が要らなる」と考えています。

 「法律違反に成らなければ何をやっても構わない」と云って、欲望のままに 嘘を付き 卑怯な事のしまくりでは、とても秩序(治安・平和)など保てる筈がありません。


 ⑵ ABC理論

  (邪念を抱かず無心になる)

  A 当たり前の事を(当たり前の事が)

  B 馬鹿になって(バカ[本気]になれず)

  C ちゃんとやる(ちゃんとやれない)


 ⑶ 「焦点の課題」に戻る

  (厄介で重要な問題を棚上げしない)

 大概のトラブルは、焦点の課題が棚上げされて、論点がズレた「二次的問題」で揉(も)めるケースが多い。


 ⑷ 風が吹けば桶屋が儲かる?

  (論理は二つ以上進めると眉唾になる)

 考え過ぎると感情が乱れ、誠実(思いやり)・寛容の心・理性(冷静)等を忘れる。


 ⑸ 事実に対して誠実に向き合う

  自分の都合で経緯(いきさつ)に対して言い訳をせずに、事実(結果)と誠実に向き合う。 

 例えば、重要な会議に遅刻するにしても、その課程で早めに対処して相手に断りやお詫びを伝えておけば、たとえ遅刻したとしても相手に誠意が伝わり問題なく過ぎる結果に繋がる。しかし、何も連絡せずに しれっと(何も無かったかの様に)会議に遅刻などすれば、当然、相手に不愉快な感情を抱かれてしまう。

 遅刻した事実は事実(事実そのまんま)、悪い結果が「実相」である。

 結果こそ事実なのだから、その課程(経緯)で何が有ろうとも過ぎた事実を受け入れて対処する。それもまた「諸法実相」の考え方だと思っています。


 ※ 私は、これらの考え方が「事実 そのまんま」を重視するものではないか と思っています。

 

4 歴史の実相を伝える

 歴史においては、正義や善悪に関係なく「事実そのまんま」時が流れる

 あらゆる事物や現象(諸法)こそが真実の姿(実相)である。 

 懐古庵で展示する甲冑の類いは、足軽など雑兵の物ばかりです。

 ここ富士市は、城下町や門前町が発展した街ではなく宿場町(吉原)や水郷の村落が、明治頃から製紙業を中心に発展した工業の街です。

 懐古庵に展示している昔の生活道具(民俗資料)は、唯の飾り物ではありません。

 武具も雑兵(足軽)の甲冑ばかりなのは、ここに武将の甲冑(レプリカ)を飾っても歴史の実相(事実そのまんま)とは異なるからです。

 懐古庵が伝えたいのは、富士市における庶民の昔の暮らし「実相」です。

 時代劇を見ると大体 武士や侍が主役です。しかし、武士や侍だけが歴史の実相ではありません。

 最も重要なのは、文化や文明を誰がどの様に担って来たのかー(生産や販売等を含めて)歴史の背景こそが「実相」です。

また、書物だけでも「実相」は伝わりません。

 懐古庵の資料に、幕末期、伊勢屋久兵衛が侍に納めた袴(上下)と着物一式があります。正にそれこそ生産者と販売元と使用した者を繋げる「実相」資料だと考えています。


4 おわりに

 法律をいくら沢山作っても 平和には成らないし治安も良くは成らない。

 「法律以前に必然がある」とゲーテは言いました。

 必然は、法律には規制されない「当たり前の事象」を言います。

必然が守られずに法律の効果も有り得ません。

 殺人が法律でいくら重罪事件でも、「相手のセイだ!」と云うパラドクス論(矛盾)がまかり通れば、どんな動機をも正論に化けてしまいます。

 原因だの理由だの「言葉で表すこと」が真理ではなく、言葉では言い表せない「事実そのまんま」(無相)こそ実相であるのが「諸法実相」です。

 事実そのまんま(諸法実相)の自助機能が失われると、無分別が正義を振りかざし「唯ありのまま過ぎゆく時」を苦悩の日々に変えてしまう事も有り得ます。

       古民家ギャラリー懐古庵

追記

文化には 物質文化と精神文化があります。

 先人が残した有用な生き方や気づき【精神文化の継承】も、懐古庵の重要なミッション(使命)であると考えています。

ゲーテ思想・五倫五常・人生の罠・名句碑・平和を乱すもの 等々










 

 








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