修己治人(しゅうこちじん)
「己(おのれ)を修(おさ)めて人(ひと)を治(おさ)む」
(石碑の紹介)
この石碑は、当庵の南側に置かれています。
この四字熟語「修己治人」
「己を修めて人を治む」
は、儒教の根本思想を表す
「修身斉家治国平天下」
(しゅうしんせいかちこくへいてんか)
という教えが元になっています。
つまり、自分を修養して徳を積み、その徳によって人々を教化し、世の中を正しく治めて行くこと を意味します。
( 道徳の教え「修身」)
「四書五経」は、中国の代表的な儒教の経典(古典)です。
四書は、
大学・中庸・論語・孟子
五経は、
易経・詩経・書経・礼記・春秋
です。
江戸時代、寺子屋の教科書に使われました。
そして、儒教を学ぶのに最初の「大学」の冒頭に出てくる教えが
「修身斉家治国平天下」
でした。
その為、昭和初期まで、道徳を「修身」の授業と言いました。
天下を治める人は、
① まず自分の行いを正し
② 次に家庭を整え
③ 次に天下を平らに治めることができる
との考えです。
当庵では、明治の教科書も所蔵しています。
「修身」の教科書も何冊か有りますが、全部は揃っていません。
明治の教育制度に則(のっと)った内容が大体把握できます。
(おわりに)
明治の教科書は、正直 分かり難い部分があります。
江戸時代には、「藩校」・「私塾」・「寺子屋」が学習の場でした。
明治時代には、政府が「誰もが教育を受けることができる」と宣言し、明治5年8月に「学制」を公布します。
明治12年に「教育令」が出されて教育の中心が町や村に移り、明治19年に「小学校令」、明治23年に「教育勅語」が発布、明治33年に義務教育が完成しました。
その為、明治時代の教科書も色々変遷しています。
写真のように「修身」の教科書にも色々な種類があって、表紙をめくると最初に「教育勅語」が書かれている物やら、明治の僅かな間に変遷が多いため、教育制度を把握しながら分別しないと整理できない状況です。
※古民家ギャラリー懐古庵では、
「温故知新」
故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る
を大切にしています。
今回紹介した石碑の教え「修己治人」は、明治から昭和初期までの道徳教育「修身」において、私達の父母・祖父母が最も大切にした基本理念でした。
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