「論語」学而(がくじ)第一(第1章)
1 論語
「論語」は(学而第一~堯日第二十迄)20編あり、どの編も最初に出てくる二文字が編名になっていて、「朋有り遠方より来る」は、「論語」の一番最初に出てくる孔子の教えです。
2 孔子
BC.552年~BC.479年
(行年74歳)
先祖は宗の人で春秋戦国時代に魯国で生まれ、名を丘(きゅう)、字を仲尼(ちゅうじ)と言った。
有名な弟子に、顔淵・曾氏・子貢・子路・有子・子夏 等がおり、論語は、孔子の言行や弟子との対話、更に弟子達の言葉がまとめられている。
3 学而第一、第1章
子曰、学而時習之、不亦説乎。
有朋自遠方来、不亦楽乎。
人不知而不慍、不亦君子乎。
(訳)
子曰く、学びて時に之を習う、
亦説(よろこ)ばしからずや。
朋有り遠方より来る、亦楽しからずや。
人知らずして慍(うら)みず、
亦君子ならずや。
(意味)
孔子先生が おっしゃることには、学んだことを繰り返し習っていると、理解が深まって自分のものとなる。
これはなんと嬉しいことか。
この様にして学んでいると、自然に志しを同じくする友が遠くから自分を慕ってやって来て、学問について語り合う。
これはなんと楽しいことか。
世間の人々が自分の学徳を認めてくれなくても、不平不満を抱かない人は、なんと徳の高い立派な人ではないか。
4 朋有り遠方より来る
この「論語」の最初の教えには、「人を育てる」箴言教化の理念を覗うことができる。
懐古庵でも、(友人が遠方から訪れる様に)施設に理解と協力のあるお客様が訪れ、懐かしい想い出話しなどを語り合う時、何より楽しく幸せな時間を共有することができる。
更に、昔の書物を訪ねて故知に学べば、生きる知恵を豊富に見出すこともできる。
民俗の歴史や郷土の歴史、何気なく流れゆく日々の暮らしを彩る庶民の歴史には、埋もれている知識が沢山あるため、その中から有用な知識や知恵を掘り起こし、伝承して行きたいと考えています。
5 人を育てる(吉田松陰の率先垂範)
故知に学び、「人を育てる」には、
〇志しを同じくする朋友との交流
〇交わり育てる率先垂範(感化)
が大切だと判る。
日本史で幕末期には、20~30代の若者が維新の偉業を成し遂げた。
その原動力が、向学心の高さにあった。
江戸時代には、私塾だけで1万校もあり、長州萩にあった吉田松陰の「松下村塾」が一番有名だった。
そこで松蔭は、僅か1年半しか教育してはいない。しかし、松下村塾から、高杉晋作・久坂玄瑞・伊藤博文・山縣有朋 等の名だたる人材が輩出された。
その教えの中心が「率先垂範」であった。
単なる知識教育より、本質での行為の正しさが教えられていた。
6 人を育てる(気持ちの切り替え)
単なる知識だけの教育ならば‥‥、いくらでも落ちこぼれで有って良い!
人は、自分が変ろうとしない限り、変るものではない。
誰でも、自分がやっている事や考えていた事に「間違っていた」と気付けば、黙っていても変る。
事実は1つでも、真実は1つではない。
気持ちを切り替えれば、別の真実も見えて来て、先が開ける。
コインが上から見れば円形だが、横から見ると長方形をしている様に、見方を変えれば真実も変る。
(真実は1つではない‥‥)
〇誰もが挫折のエリートである。
・失敗も経験のうちと思え。
〇金を儲けても金持ちになるだけ、
偉い人になる訳ではない。
・或る78歳の女性の投稿
〇他人は失ったものに目を向けますが、私は得たものに目を向けます。
・モーリス・エリゾーグ
〇「鹿をさして馬となす」
道理に外れたことを言って、人を
試したり脅迫したりすること。
・人は、色々な不合理にぶつかるが、
投げやりにならず、頑張ることが
大切である。
(「史記」秦始皇紀)
〇過ぎたるは、猶(な)お及ばざるが如し
・度を過ごせば、足らないのと同じで、
共に良くない。適度という事が大切。
(「論語」先進)
7 おわりに
今回のブログでは、「論語」について少し触れて「故知」を掘り起こし、「率先垂範」・「気持ちの切り替え」の大切さを記事にしました。
これからも、たまには「温故知新」をテーマにして、[精神文化の有用な教え]を記事にしたいと考えています。
懐古庵主
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