ラシーヌの碑文(続編)

ラシーヌの石碑を移動しました。

 熱誠は、必ず報いられる。

           ラシーヌ

1 移動前

 この石碑は以前、ガレージの奥に置いてありました。


2 移動先

 石碑は、南側の庭へ移動しました。

 下の写真は、配置前です。

 移動後は、キリストの石碑と並べて目立つ場所に配置しました。


3 配置換えの理由

 「熱誠は、必ず報いられる。」と云う石碑を、庭の目立つ位置に移動した訳は、この名言が持つ熱量(熱い想い)を忘れない為です。

 熱誠とは「熱い真心」、相手のことを思う「純粋な真心」を云う。

 ここ古民家ギャラリー懐古庵は、確かな理念とビジョンを背景として、少しでも地域にお役に立ちたいと願っている施設です。

「庶民の文化」に対する構想は、私の長年の夢であり、全ての叡知を駆使して次世代へ引継ぎたいと考えています。

 その情熱は未だ道半ばであり、径(みち)無き径を進んではいますが、

     必ず報いられる 

と信じています。

 その情熱を記したブログ記事が、重要ワードで高く評価されているのは、大変励みになっています。


4「熱誠」について

  「熱誠は、必ず報いられる。」

このラシーヌの名言は、いたって単純な言葉ですが、世の中には理屈では解決出来ない問題が多く存在します。

 その様な時、大体にして人は成り行き任せにして慎重さを装います。

 しかし、成り行き任せの曖昧さが、無責任で有ったり不作為であったり、勇気が足りなかったり自分への渴愛心であったり、更には「不実」であったりして、成り行きの期待だけで決断を先伸ばしすれば事態が悪化することが良く有ります。

 会議でも、決断を先延ばしにするケースが良くあります。

 感情論(自分主義)で曖昧な議論ばかりしている場合もあります。

 そんな時、熱誠(熱い思い)つまり、情熱・信念・使命・義務・やる気等の熱量が、理屈では解決出来ない問題(矛盾)に答えを出します。

 私は、熱誠(熱い思い)こそ正義であり誠であり、行動(決断)に対する一番大切な要素である と考えています。


「幸せな人生よりも、良い人生」

 この考え方は色々複雑ですが、私もそう考えています。一見幸せそうに見えて、誰もが何かしら悩みや辛い事を抱えています。

 病で闘病中の人、思うように仕事の成果が出ない人、明日の生活にも不安な人など、人知れず悩みを抱いている人は多いと思います。

 嫌な事・辛い事に無関係な人生などは無く、幸せは永久(とわ)なものではありません。

 限りある人生には、必ず死が訪れ永久に幸せは続きません。

 私は、不幸も辛い事も全て受け止めてこそ「良い人生」を送ることができると考えています。

 人は「自分さえ良ければ、それで幸せ」と云うものではなく、他人の不幸や悩みを静かに見守ることが、決して冷たい不実な気持ちではなく、熱い真心(純粋な真心)によるものであったりもします。 

 私ども老夫婦には、「何かお役に立ちたい」と云う思いが元気の源であり、何気ない日常が「黄金の日々」です。

 懐古庵では、お客様の気持ちに寄り添い、その誰もの「熱い思い」が成就し報われるのを願っています。

 そんな気持ちを抱き、このラシーヌの名言

  「熱誠は、必ず報いられる。」

を、至宝の言霊(ことだま)として庭の中央へ配置しました。


6 おわりに

 当庵の石碑は、基本的に

 ・北側の庭に「日本の偉人の名言」

 ・南側の庭に「西洋の偉人の名言」

 ・西側の庭に「儒教関係の名言等」

を配置しています。

 お客様の中には、心に響く言葉を見つけて立ち止まる方がいます。

店内には、石碑の解説書も備えてあります。

 碑文については、名言集を何度も読み返して抽出した言霊で、精魂込めて製作した石碑ばかりです。

 是非、お楽しみ下さい。

              懐古庵主




 






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