愛しき日々

「好き」よりも深い愛情、愛(いと)おしい

 それは、言葉じゃなくて「寄り添う心」が作り出すもの。

1 はじめに(愛おしい とはー)

 「愛おしい」という言葉は、元々、

   「いと・おしい」(非常に 残念)

という、可愛さ余る相手への情愛(思いやり)が、

    「愛(いと)おしい」

という強い愛情心へ変化した言葉だとされています。


2 哀れみの心

愛おしいは、好きよりも深い愛情表現です。

 その為、相手を不憫(ふびん)に思う哀れみの心

    「お気の毒に」

も、寄り添う気持ちには変わりがなく「愛おしい」という感情と同類だと考えます。

 相手に対する親しみや情愛が無ければ、とかく人は、相手の不憫や不幸に対して「お気の毒に」という寄り添う心(愛情・思いやり)も生まれては来ないものです。

 「哀れみの心」には様々あり、相手への思いやりには「愛おしい」と同様の情愛があるものだと私は思っています。


3 「無関心」について

 「愛おしい」の反意語は、

       ・憎らしい

    ・憎悪(にくにく)しい

    ・気に食わない  等々

が一般的だと思われがちですが、「愛おしい」を より広い意味で哲学的に捉えると

  「愛おしい」の反意語は「無関心

だと言われています。

 マザーテレサの有名な言葉に、

愛の反対は憎悪ではなく、無関心である。

という名言があります。

 相手や物事に対して、好意的に寄り添う気持ちや思い入れが無ければ、何の情愛も湧いてはきません。

 残念ながら、

  「関心が無い」・「どうでも良い」

と言った無下な感情にしか囚われないのが 人間の有り様です。

 その為、最近私は、相手や物事に関心を持つことが、愛情表現(思いやり)であると考えています。

 自分の好き嫌いで行動するのではなく、単純に

   ・当たり前の事を

   ・バカ(本気)になって

   ・ちゃんとやる

という寄り添う気持ちで行動する方が良いと考えています。

 自分には気付かなくても、無関心でいることは不実な行いであって、相手の鏡には「薄情な姿」にしか写らないものです。


4 おわりに

 無関心は、「愛おしい」という情愛の反意語であり、 無関心でいる事は、誠実の反意語「不実」な姿勢そのものです。

 相手に対する思いやりがあれば関心を示し、尚且つ 日常で当たり前に行われる物事に対しては

   「不実」であってはならない

と思っています。

 ※不実とは:誠実の反意語。

   行動を起こさずに誠意が伝わらない事。

 この年になって漸(ようや)く気付いた生き方は、至って単純であり、

  人に対して無関心(不実)ではなく、

  関心を持って行動すること

であって、それが愛しき日々の当たり前の暮らしであると、最近では考えています。

 

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