古民家ギャラリー懐古庵は、大正11年築の古民家に昔の生活道具を保存しつつ、古美術工芸・民芸品等の販売を行なっています。
↓お知らせ
1 イベント情報
(1)史蹟「御殿」について
懐古庵では、7月に富士市今泉にある地元「御殿町」の特集を組んで資料の展示会を行いました。御殿町に昔「御殿」が存在したと云う文化的価値については、識者とも連絡を取りながら、ここ懐古庵からも発信し お役に立てられたらと考えています。
「御殿町」と云う地名の由来は、源頼朝が富士川合戦や富士の鷹狩りの時代に建てたとされる御殿(どの様なものかは不明)と、徳川家康が大御所の時代に鷹狩りなどの往来で建てたとされる御殿、更にそれを引継いだ3代将軍徳川家光の弟 駿河大納言(徳川忠長)の茶屋御殿に関係します。
家康が建てた御殿は、戦国時代に衰退し今は無き「善得寺(善得寺城)」に密接な関係があります。善得寺が再建出来なかった事情と家康が御殿を残した事情が重なり複雑です。
善得寺を知らずして「家康の御殿」を語ることが出来ない為、善得寺の歴史については判り易く纏めて有ります。興味の有る方は、何時(いつ)でもご連絡下さい。
御殿が存在した歴史的事実については、様々な資料を基にして大筋 文字起こし(資料化)する事が出来ました。
南北朝から戦国時代まで富士市には禅宗の大寺院「善得寺」が存在し、「善得寺城」を兼ねた今川氏の拠点として、今川氏の軍師「太原雪斎」が住職として居ました。
戦国時代の富士市は、今川・武田・北條が何度も争った要衝地であり、複雑なドラマが展開しました。武田が滅亡し織田・徳川の時代になる頃、武田24将の一人「穴山梅雪」の生き様がキーワードになると思います。御殿の歴史はドラマチックで面白いです。
是非、ご協力頂けたら幸いです。
(2)「貸し教室」のご利用について
懐古庵の8畳2間を、今後もイベントや展示会として使える状態に改善しました。
最近では時々、地元の方が演劇の練習場所として借りてくださいます。
以前の様に「貸し教室」としてのご利用も可能に成りましたので、ご用命がありましたらお知らせ下さい。